ナナシのつなぐブログ🌸

社会貢献活動を地道にしてます

自己責任の落とし穴

どうも🤚

昨日は都会に出掛けてきたのですが、駅前のめっちゃくちゃ人通りの多いところに一人の物乞いの方がシートを広げて座っていました。

そのような方を以前から見かけたら少ない金額ですが、安い飯が食えるくらいは恵むようにしてきました。

今回も同じ様にとても微力ながら恵みました。

 

現実的な話をしますが。

今の僕にはその様な方の生活自体を救けてあげる事は出来ません。

お金もない、横のつながりもない、支援もない。

まぁ最近ご縁があって、僕の事情を理解していて、気にしない方々のお陰で仕事を始められたので、少しは潤ってきましたが……。

 

それでも、昨日は恵んだお金分を別で節約して調整しました……そんな感じです。

今後も誰を助けるにしても自己犠牲し過ぎる事は避けていきますし、そこは僕を見守ってくれてる方々には安心していてほしいなぁと思います。

しかし、人助けのあるあるですが

助けてあげる人が少ないから、助けてる側の負担が大きくなる訳です。

昨日だって、僕が見てる間に何百人と通っていましたが、皆素通りです。

でもストリートパフォーマンスの方々の前には人だかりができていました。

 

まぁ……そりゃそうなんですけどね……

分かってる事なんですが…

やっぱ悲しくなるんですよね。

だって『金額の差がある』って段階すらもいってないんですよ?

見向きもしてもらえてないんです。

0円です、興味も0です。

せめてね、10円でもいい…。

とにかく、そこの物乞いに対して少しでもいいから慈悲の心で見てあげてほしい。

10円でも50円でもいい。

前を通った何百人の内、100人でもいい。

1人50円で5千円です。

 

僕は今回は500円を恵みました。

人数が少なくても何人もが入れていたのなら、僕が恵むのは500円ではなく100円だったかもしれない。

でも入れ物が空だったから500円にしました。

それを偉ぶるつもりはないし、入れない人達を蔑む事もありません。

でも…

自分が本当に困った時に他者から救けてほしいのなら、目の前で他人が「救けて下さい」と言っているのなら、まず興味くらいは持ちませんか?

とは思うんです。

きったねぇーホームレスですよ、相手は。

何処の誰だよって人だし、何でそうなったかも分からない、恵まれたお金をどう使うかもわからない。

 

でもね、正式に置いてる募金箱への寄付って基本そうじゃないですか?

そのお金の行き先まで追いかける訳でもないし、何処の誰にどう使われてるかも分かりません。

でも寄付する訳ですよね?。

それと同じだと思うんです。

その「寄付が必要な人」が、目の前で箱を置いてるか置いてないかの違いだと思うんです。

どこかの国みたいに、1人に与えたら一気に群がってくるから気をつけなければいけないって訳でもない。

ただの箱には寄付出来るのに、いざ汚えー物乞いが目の前に現れたら無視ですか?

ってのが悲しいし悔しい。

 

どうか、これを読んだ方は、物乞いを見かけたら少しだけでも恵んであげて下さい

どうか、そうしてあげて下さい。

皆、自己責任の社会でそれを大切にして、努力してる。だからこそ自己の責任で失敗した人に対しては尚更に『お前も努力しろよ!何でお前だけ赦されて助けられるんだよ!ふざけんなよ!自己責任だっつうの!』

ってなりやすいのがこの社会です。

でも、人って失敗するんですよ。

障害や病気がある人もいる。

生まれた環境が悪い人もいる。

精神的に弱い人もいる。

でも、、その人達だって無能じゃない、人としての権利、価値だってある。

キッカケや場所があれば行き直せる人はちゃんといる。何なら救けられれば、それの尊さに気付けて、その人助けの精神を繋いでいこうともする。

 

皆さん良ければ、この機会に少しだけでも自己責任の事、見つめ直しませんか?

それと、自己責任という落とし穴に落ちないように気を付けて下さい。

自分に対しても、他者に対してもです。

穴から出て自分や他者を救けて下さい。

 

では今回はここらで終わります。

お疲れ様です。

 

ばいちゃ🤚